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増鏡
四三神山
む月〈◯仁治三年〉の五日より、内のうへ〈◯四条〉例ならぬ御事にて、〈◯中略〉九日の暁かくれさせ給ぬとてのヽしりあへるいとあさましともいふばかりなし、〈◯中略〉いまだ御つぎもおはしまさず、又御はらからの宮などもわたらせ給はねば、世の中いかになりゆかんずるにかとたどりあへるさまなり、さてしもやはにて、あづまへぞつげやりける、将軍〈◯藤原頼経〉は大殿〈◯道家〉御子、今は大納言殿と聞ゆ、御うしろみは承久にのぼりたりし泰時朝臣なり、時房と一所にて小弓いさせさかもりなどして、心とけたるほどなりけるに、京よりはしり馬といへば、何事ならむと驚きながら使めしよせてきくにいとあさまし、さりとてあるべきならねば、そのむしろよりやがて神事はじめて、若宮の社にてくじおぞとりける、そのほど都にはいとうかびたる事ども、心のひきびきいひしろふ、〈◯中略〉あづまの使みやこに入るよし聞えける日は、両女院〈◯後鳥羽后修明門院、承明門院、〉より白河に人お立て、いづかたへまいると見せられけるぞことわりに、げにいま見ゆべき事なれど、ものヽ心もとなきはさおぼゆるわざぞかしと例の口すげみてほヽえむ、日ぐらしまたれて城介義景といふもの三条河原にうちいでヽ、承明門院のおはしますなる院はいづくぞと、かの院より立られたる青侍のいとあやしげなるにしもとひければ、きくこヽちうつヽともおぼえず、しか〳〵と申まヽに土御門殿へまいりたれど、門はむぐらつよくかため、とびらもさびつき、はしらねくちてあかざりけるお、郎等どもにとかくせさせて、内にまいりて見まはせば、青き苔のみむして、松風よりほかはこたふるものなく、人の通へる跡もなし、〈◯中略〉定通のおとヾばかりぞ、何となくおのづからの事もやと思ひて、なへばめる烏帽子直衣にてさぶらひ給ひけるが、中門にいでヽ対面し給ふ、義景はきり戸の脇にかしこまりてぞ侍りける、阿波院〈◯土御門〉の御子〈◯後嵯峨〉御位にと申ていでぬ、院の中の人々上下夢のこヽちして、物にぞあたりまどひける、仁治三年正月十九日の事なり、世の人のこヽちみなおどろきあわてヽおし返し、こなたに参りつどふ馬車のひヾきさわぐ世のおとなひお、四辻殿〈◯修明門院〉にはあさましう中々ものおぼしまさるべし、又の日やがて御げんぶくせさせ給ふ、〈◯中略〉その夜やがて冷泉万里小路殿へうつらせ給ひて、閑院殿より剣璽など渡さる、践祚の儀式いとめづらし、