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椿葉記
崇光院は光厳院第一の皇子にて、後嵯峨院以来皇統にてまします、御在位わづかに三年、天下みだれて観応二年十一月七日、南朝より取奉りて御位お廃す、〈◯中略〉さて東宮〈◯直仁〉は廃せられて、光厳院第二宮、〈◯後光厳〉同八月十七日践祚あり、父の御ゆづりにもあらず、武将〈◯足利尊氏〉のはからひとして申行ふ、