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続神皇正統記
後光厳
抑此君御位の事、并女院広義門院御政務事、大樹〈◯足利尊氏〉頻に執申されけるに、女院御固辞、都て不可協之由被仰ければ、本院〈◯光厳〉以下山中に御坐之間、彼御ため御讐たるよし深く思召入ける故とぞ、大樹執柄へも申談られけり、〈◯中略〉近衛院御晏駕時、いづれの皇子おもて帝位には定申さるべきやのよし、鳥羽院、法性寺殿〈◯藤原忠通〉に勅問の時、はからひ申がたき由再三御辞退ありけるに、五度にいたりて責申されて、大神宮の御計と存べし、枉て計承べき旨仰られし、其時力なく四宮〈◯後白河〉御坐の上はと御返事あり、就其て後白河院践祚ありき、其跡お追て、寿永の度、後白河院、月輪殿〈◯藤原兼実〉に勅問の時、御辞退ありて、久寿の儀は宿老の賢才にて遁所なきによりて所存お申さる、それなほ数度固辞あり、今度更以計申がたき旨申切られ畢、今いづれの宮おもて御位に備奉べき哉のよし、摂家おはじめて尋申べき旨武家評議あり、已先賢所存かくのごとし、誰人か是非におよぶべきやにて、なほ数度女院に申入られたるにぞ、御領納の儀まし〳〵て、御位にはつかせ給ふ、日ごろは妙法院門跡に御入室あるべきにて、日次などもさだまりしが、自然に延引して、いま天位に備まします事、奇特にぞ侍る、