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太平記
三十二
後光厳院御即位事
今度吉野殿〈◯後村上〉と将軍〈◯足利尊氏〉と御合体の議破れて合戦に及し刻、持明院の本院〈◯光厳〉新院〈◯光明〉主上〈◯崇光〉春宮〈◯直仁〉梶井二品親王まで、皆南方の敵に囚れさせ給ひて、或は賀名生の奥、或は金剛山の麓に御座あれば、都には御在位の君もおはしまさず、山門には時の貫主も渡らせ給はず、此平安城と比叡山と同時に始まり、已に六百余歳、一日もいまだ懸る事おば承及ばず、是ぞ末法の世に成ぬる験よと浅ましかりし事どもなり、されども角ては如何あるべきとて、〈◯中略〉御位には誰おか即け進らすべきと尋求奉る処に、本院第二の御子〈◯後光厳、中略、〉今年十五に成せ給ふお、日野春宮権大進保光に仰て、南方へ取奉らんとせられけるが、兎角料理に滞りて、保光京都に捨置奉りけるお尋出し進らせて、御位には即進らせけるなり、