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五代帝王物語
承久兵乱の後、世も漸謐りて、後堀河院〈御母北白河院〉位に即せ給べきに定て、関東よりはせのぼりて申ければ、後高倉の法皇は、折ふし持仏堂に渡らせ給ひけるが、後世の障となるべし、ふつとかなふまじきと仰有けるお、北白河院の、いかにかヽる事おば思食さるヽぞ、宮々の御為も傍めでたかるべし、子細あるまじと申すヽめ参らせて、御領掌ありけり、後堀河院は、十楽院の贈大僧正仁慶〈松殿之子〉弟子に成て、御同宿有けるお迎参らせて、承久三年七月九日、践祚ありて、同十二月一日、即位、御年十歳也、孫王の位に即給事、光仁天皇より後絶て久しくなれり、聖運のわたらせ給けるこそ忝侍れ、