[p.0270]
神皇正統記
後鳥羽
先帝〈◯安徳〉西海に臨幸ありしかど、祖父法皇〈◯後白河〉の御世なりしかば都はかはらず、摂政基通の大臣ぞ、平氏の縁にて供奉せられしお、いさめ申ともがら有けるにや九条の大路辺よりとヾまられぬ、其外平氏の親族ならぬ人々は、御供つかまつる人なかりけり、還幸あるべきよし院宣ありけれど、平氏承引し申さず、依之太上法皇の詔にて、此天皇たヽせ給ひぬ、親王の宣旨までもなし、先皇太子とし、即受禅の儀あり、翌年甲辰にあたる年四月に改元、七月に即位、此同胞に高倉の第三の御子まし〳〵しかども、法皇此君おえらび定め給ひけるとぞ、
◯按ずるに、後鳥羽天皇は、後白河法皇の詔にて、安徳天皇の皇太子に立ち、即日践祚し給ひしなり、