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増鏡
八飛鳥川
十七日〈◯文永九年二月〉の朝より、御けしきかはるとて善知識めさる、つひに其日の酉の時に、御年五十三にてかくれさせ給ひぬ、後嵯峨院とぞ申める、ことしは文永九年なり、〈◯中略〉世中は新院〈◯後深草〉かくておはしませば、法皇〈◯後嵯峨〉の御かはりに引うつして、さぞあらんと世の人もおもひ聞えけるに、当代〈◯亀山〉の御ひとつすぢにてあるべきさまの御おきてなりけり、長講堂領又はりまの国おはりの熱田の社などおぞ御そぶんありける、〈◯中略〉いでや位におはしますにつきて、さしあたりの御まつりごとなどはことわり也、新院にも若宮おはしませば、行すえの一ふしはなどかはなどいひしろふ、かヽればいつしか院方内方と、人の心々も引わかるヽやうにうちつけ事どもいできけり、人ひとりおはしまさぬ跡は、いみじき物にぞありける、