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増鏡
九草枕
本院〈◯後深草〉は、なほいとあやしかりける御身のすくせお、人の思ふらん事もすさまじうおぼしむすぼヽれて、世おそむかんのまうけにて、尊号おもかへしたてまつらせ給へば、兵仗おもとヾめんとて御随身どもめして、禄かけいとまたまはする程いと心ぼそしと思ひあへり、〈◯中略〉いまの時宗朝臣もいとめでたきものにて、本院のかく世おおぼしすてんずる、いとかたじけなくあはれなる御事也、故院〈◯後嵯峨〉の御おきてはやうこそあらめなれど、そこらの御このかみにて、させる御あやまりもおはしまさヾらん、いかでかはたちまちに名残なくはものし給ふべき、いとたい〴〵しきわざなりとて、新院〈◯亀山〉へも奏し、かなたこなたなごめ申て、東の御かたのわか宮〈◯伏見〉お坊に立たてまつりぬ、十月五日、節会おこなはれていとめでたし、かヽればすこし御心なぐさめて、此きははしひてそむかせたまふべき御道心にもあらねばおぼしとヾまりぬ、〈◯中略〉いにしへの天智天皇と天武天皇とは、おなじ御腹の御はらからなり、その御すえしばしばうちかはり〳〵、世おしろしめしヽためしなどおも思ひやいでけん、御二ながれにて位にもおはしまさなんと思ひ申けり、