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古事記伝
四十三
此皇女の御事、書紀には顕宗巻に、天皇姉、飯豊青皇女とありて、其巻初分注にも押磐皇子の御子とせり、是は甚紛らはしきお、〈其故は此皇女は、既に履中巻に押羽皇子の御同母妹に青海皇女ありて、一曰飯豊皇女とあるお、顕宗巻に至て、忽かはりて其御女とすることあるべくもおぼえず、〉つら〳〵考るに、書紀は此記とは伝の異なるにて、書紀の伝は、飯豊皇女は、かの履中天皇の御子の、青海皇女とは別なるなり、〈然るおかの青海皇女の下に、一曰飯豊皇女とある分〉〈注は、青海皇女の亦名おかくも申すとにはあらず、是は一説お挙たるにて、かの押羽皇子の御子なる飯豊皇女お、履中天皇の御子にて、此青海皇女のことなりとする説もあるよしなり、其一説は即此記の伝と同じきなり、〉