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神皇正統記
天武
天武天皇は、天智同母の弟なり、皇太子に立て大倭にまし〳〵き、天智は近江にまします、御病ありしに太子お呼申給ひけるお、近江の朝廷の臣のなかに告しらせ申人ありければ、御門の御意のおもむきにやありけん、太子の位おみづからしりぞきて、天智の御子太政大臣大友の皇子〈◯弘文〉にゆづりて、芳野の宮に入たまふ、天智かくれ給ひてのち、大友皇子猶あやぶまれけるにや、軍おめして芳野おおそはんとぞはかり給ひける、天皇ひそかに芳野お出、伊勢にこえ、飯高の郡に至りて大神宮お遥に拝して、美濃へかヽりて東国の軍おめす、皇子高市まいり給ひしお大将軍として、美濃の不破の関おまほらしめ、天皇は尾張の国にぞこえ給ひける、国々みなしたがひ申しかば不破の関の軍にうちかち、すなはち勢多にのぞみて合戦あり、皇子の軍やぶれて、皇子ころされ給ひぬ、大臣以下或は誅にふし、或は遠流せらる、軍にしたがひ申輩しなじなによりて其賞おおこなはる、壬申の年即位、大和の飛鳥浄御原の宮にまします、