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栄花物語
三十六根合
寛徳二年正月十六日に位ゆづりの事ありて、〈◯中略〉四月八日には御即位〈◯後冷泉〉あり、のこる人なくみる、もんいるほどたまのかうぶりして、あぐらどものうへにいなみたる、からえのここちしてにようばうなどは吉につきてさぶらふ、べんのめのとないしのすけになりて、その日の御まかなひし給ふ、めでたしなども世のつねなり、丹波のめのとは、まさみちの中将のむすめ、宰相のめのとは故致仕の大納言のむまご、びぜんのかみなかつねのむすめなり、さるべき人々でんじやう人などはなおおりたるこヽちしてめでたし、御こしよするほど御めのとたちいかなりけん、あさ日のかヾやきいづるおみるこヽちす、ことしぞ廿一にならせ給ける、〈◯中略〉命婦蔵人十人は礼服とて、あかいろのからぎぬのそでひろきおぞきたる、いま十人はすりからぎぬきつヽかみあげてならびさぶらふ、いぎのみこ、とばりあげなど、れいのことなり、京極殿におはします、寝殿お南殿にて、にしのたいおせいれうでんにしたり、きたのたいに一ほんのみやおはします、きたの一のたいおないしどころなどにしたり、にしの中門のらうお陣の座にしたり、いみじの京極どのヽありさまや、みかどみところ、きさきみところたヽせ給ぬ、又も一ほんのみやたヽせ給べかめり、