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吉田物語
正親町院御即位之事
一永禄元年に、後奈良院崩去たりと雲へども、東宮正親町院御即位調はれ候儀不相成、御延引の通元就公聞し召され及、大内盛見の御菩提所国清寺の住持仏知和尚お御頼みなされ、上京仰付られ、永禄三年正月廿七日、御即位相調ひ候、就夫元就公へ勅感の綸旨成し下され、被叙任従四位上陸奥守、菊桐の御紋お賜ふ、公方の義輝公より錦の御直垂お賜はり、御相伴衆に成らせられ候て、天下に御名お揚げられ候、和尚御使として上京の刻、若し御即位料御金不足候時の為と申され、秘蔵の黒茶入と申て、唐の肩付有之お持参申され候由申伝候、此御使被調候に付国師になされ、大照仏知国師と申候、隻今の常栄寺の由に候事如件、