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重編応仁記

主上御即位公方家御代替事
此時の今上皇帝は、〈◯中略〉去る明応九年の秋御践祚有と雲へ共、御世度乏く絶々にて、未だ御即位の礼義お執行はれん御支度無し、禁裏仙洞、其外諸公家の宅地は皆乱中に焼果て、公家の面面多分は諸国え離散して、皆大名に身お寄せ命お繫がれ日お送らる、留り残る人々は次第に寡く成まヽに、其日其夜お送り兼て、京都は大形空地と成り、野原交りに荒果たり、され共禁裏の朽残し才なる御所おしつらひて、皇居まし〳〵たりけるが、践祚の後遥に二十余年お経て、大永元年の春の頃、漸々由故有て御即位の礼お行はる、され共其形ばかりとぞ聞へし、日本開避より以来、かヽる不思議の例お不聞、如何なる時節到来にやと貴賤上下歎き合けり、其後大永六年の夏崩御有て、後柏原院と申し奉りしは此御門の御事也、