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梧窓漫筆

先帝崩御ましまして、太子御幼少なれば、御相伝の方なりがたき故、御成長の後関白御相伝仕ると雲こと、諸書に是有て其言は記せず、聖徳太子十七条の憲法にや、又は宇多法皇の御遺誡にもやと思ひしに、後に後太平記と雲へる大俗書お読みたれば其事お記せり、観音経の慈眼視衆生、福聚海無量と雲二句なり、誠に難有御事なり、平城天皇の薬子の乱に、藤原仲成お誅勠せるより、帝王二十七代、三百四十余年、保元の乱まで、衣冠の人お刑殺せず、仁孝の政、三代聖人の御世も難企こと也、和歌仏法などにて、柔過て遂に天下の権お失ひ玉へど、一体慈仁の徳天地に充塞して、皇統百二十代の今日に至ること、無由して然らんや、