[p.0455][p.0456]
前帝、皇位よ譲り給ふお譲位と雲ひ、新帝、之お受け給ふお受禅と雲ふ、されば譲位の式は、即ち受禅の式にして、前帝に就て言ふと、新帝に就て言ふとの異あるのみ、此式は、清和天皇の貞観年中に至りて大に整頓し、当日紫宸殿に於て、先づ節会の儀お行ひ、次に剣璽渡御の儀あり、若し御父子にあらずして禅譲の時は、新帝上表の礼あり、〈上表とは、表お上り位お辞し給ふお謂ふ、幼帝の時は、此礼なし、〉然れども一二の異例なきにあらず、後冷泉天皇と後朱雀天皇とは、御父子にして此儀あり、土御門天皇と順徳天皇とは、御兄弟にして此礼なかりしが如き是なり、又譲位式お行ふ時は、兼日或は当日に必ず警固固関の儀あり、式終て後数日にして開関解陣あるお例とす、」神武天皇以降二十五代の間は、譲位のことなし、継体天皇、寳祚お安閑天皇に伝へ給ひて、即日登遐あり、之お譲位の始めとす、其後九代お間てヽ、皇極天皇、位お孝徳天皇に譲り、持統天皇、亦位お文武天皇に譲りたまひしより、歴朝毎に譲位受禅ありて、後には殆ど恒例の如くなるに至れり、而して譲位の事情一様ならず、光仁、淳和、醍醐、一条等の天皇は、疾病お以てし、三条、後堀河、亀山等の天皇は、災異お以てし、元明、光仁、正親町等の天皇は、衰老お以てし、継体、後醍醐等の天皇は、臨終お以てし給へり、而して崩後なほ如在の儀お以て譲位し給ひしお、後一条天皇、後冷泉天皇とす、其他、事に便せんとして譲位し給ひしあり、孝謙天皇の其皇太后に孝養お尽さんためにし、順徳天皇の兵お挙げん為にしたまひしが如き是なり、父祖の御意より出で已むお得ずして譲位し給ひしあり、崇徳天皇の、御父鳥羽上皇の聖旨に随ひ、六条天皇の、御祖父後白河上皇の命に随ひたまひしが如き是なり、又権臣の意に出でたるあり、三条、後宇多、花園、後西院等の天皇の如き是なり、権臣の意に出でたるも亦已むお得ざるものにして、其聖意にあらざるは一なり、
凡皇位は、皇子の皇太子、之お継承し給ふお例とすれども、然らざるも亦多し、嵯峨、淳和、村上、円融、近衛、順徳、亀山等の天皇は、皇太弟にて受禅し、文武、後陽成等の天皇は、皇孫にて受禅し、聖武、仁明、花山、崇光、後桃園等の天皇は、皇姪にて受禅し、後一条天皇は従姪にて受禅したまへり、其他従兄弟にして受禅ありしは、一条、三条、伏見等の天皇にして、再従兄弟にして受禅ありしは、後二条、後醍醐等の天皇なり、殊に高倉天皇の、叔父お以て受禅し、淳仁天皇の、族叔祖父お以て受禅し、元正、孝謙、明正等の天皇の、皇女お以て受禅したまひしが如きは、共に異例なりとす、又皇太弟、皇姪、従兄弟、皇女等にして、受禅の後、更に前帝の皇子お以て皇太子とし給ひしあり、各其条下に詳にせり、就て看るべし、
又天皇の、皇位お継承し給ふには、郷に皇太子に立ちて然る後受禅し給ふお例とし、殊に親王宣下と雲ふこと始まりし後は、先づ親王の宣下お蒙り、更に皇太子となり、然る後受禅し給ふお例とす、されど是また種々の事情によりて悉く然ること能はず、即ち堀河、崇徳、二条、後光厳、後円融、明正等の天皇は、立太子の日受禅し、六条天皇は、立親王、立太子、受禅共に同日にして、土御門、後小松等の天皇は、親王宣下なくして、立太子の日受禅あり、其中にて元正、称光、後土御門、後陽成等の天皇は、親王たるのみにして立太子の儀なく、直に受禅したまひしが如きは殊に異例なりとす、