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増鏡
九草枕
文永十一年正月廿六日、春宮〈◯後宇多〉に位ゆづり申させ給、〈◯亀山〉廿五日夜、まづ内侍所剣璽引ぐして、押小路殿へ行幸なりて、又の日ことさらに二条内裏へわたされけり、九条の摂政殿〈忠家〉まいり給ひて、蔵人めして禁色おほせらる、うへは八にならせ給へば、いとちひさくうつくしげにて、びんづらゆひて、御引なほし、うち御ぞ、はりばかまたてまつれる御けしき、おとな〳〵しうめでたくおはする、花山院内大臣〈◯藤原師継〉扶持し申さるヽお、故皇后宮〈◯後宇多母后藤原佶子〉の御せうと公守の君などは、あはれに見給ひつヽ、故おどヾ〈◯藤原実雄〉宮などのおはせましかばとおぼしいづ、殿上に人々おほくまいりあつまり給ひて御膳まいる、其後上達部の拝あり、女房は朝餉よりすえまで、内大臣公親の女おはじめにて、三十余人なみ居たり、いづれとなくとり〴〵にきよげなり、