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御譲位禁秘抄
文化十四年三月廿二日、子刻公卿殿上人以下、地下官人に至まで行幸に供奉、剣璽渡御、供奉院司等に参役候輩、前後おあらそひ令参内給ふ、先大臣の方々左右番長近衛雑色等召し具給ひ、轅に乗り給ひ御出門、路次松明お照らし静行す、先陽明門代置石の外にて御下車、門代置石之内南扉代より入給ふ、右番長前行、左番長御裾に相従ひ、前駈近衛等北扉お入、夫より建春門入給ひ、直に諸大夫間より御昇殿御休息あり、諸卿殿上人以下、具近衛雑色等、御歩行にて令参内給了、寅刻過雲々、未刻頃、剣璽渡御之御催しに付、車寄より御下殿如前、中門内東上北面御列立、自下臈進出前行、右府公中門被為出、次左府公、次剣璽渡御、唐門外被為出、路頭〈御行列奥に有〉御静歩あり、先唐門前地へ建春門御入、〈猶陽明門より置路等御通行、仙院広御所前より禁中清凉殿迄路頭不残筵道なり、且筵道は剣璽計御通行なり、供奉司々筵道左の方行なり、〉剣璽旧主〈◯光格〉より新主〈江◯仁孝〉御授あるなり、〈◯中略〉右剣璽禁中〈江〉渡御、新主授之給ひて、夫より吉書御覧之式始り、子の刻に終り、公卿殿上人又々仙洞御所〈江〉御歩儀あり、今日院司被補候人々、院広御所において舞踏有之、寅刻頃事終り、みな〳〵退出いたされけり、