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代始和抄
御譲位事
父子にあらずして受禅の時は、皇太子参上して倚子につきて上表の礼あり、天慶九年、村上天皇の、御兄朱雀院の御譲おうけ給ふ時、上表揖譲の義あり、其後安和二年に、円融院の、冷泉院の御ゆづりお受給ひ、寛弘八年に、三条院〈◯冷泉皇子〉の、一条院〈◯円融〉の御譲お受て位につき玉ふ時、皆この礼ありし也、幼主の時は揖譲の礼なし、長和五年、後一条院の、三条院の御ゆづりお受給ふ時は、後一条九歳なり、幼主たるにより此礼なし、抑承元四年、順徳院の、土御門院の御ゆづりお受て践祚有し時、順徳院十四歳にてまし〳〵しかば、上表の儀式有べきに、上皇後鳥羽院の仰によりて其義なかりしおば、世以て難じ侍りし事なり、父子譲国の時は、子たる道、よろづ父の命おそむくべきことわりなきによりて、義譲の事なし、幼主成人によらざる也、しかるに寛徳二年に、後冷泉院の受禅は、父帝後朱雀院よりつたへ給ひしかば、揖譲の義あるべからざるに、上表の義ありし、是又しかるべからざるよし其沙汰ありけり、