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東寺百合古文書
包紙〈寛正五、七、廿四到来、〉
  自新見荘              金子弾正左衛門尉
                     福 本 式 部 尉
                     宮田帯刀左衛門尉〈◯中略〉
 進上〈東寺〉公文所殿
畏申上候、
抑自守護方、〈去廿五日〉御譲位〈◯後花園〉段銭被申候而、催促お大勢被入候、公私めいわく此事にて候、さ候間此方の事は、自先例守護不入之在所之事にて候お、今更かやうに催促候間、驚入存候、御百姓等は、中々使のあいしらい、ふつと申事あるまじく候と申候て、日々寄合仕候而、使おおつたて申候て、其まヽ家おあけ候はんと、かたく申定之処お、先々相留候て、使お我々としてあいしらいさうじ等お仕候、使大勢にていらんとも仕候間、談合申候て、守護代へ京都一注進之間、先御使おも御立候て給候へと、わび事之状お政所殿より御つかはし候へども、使不被立候、風渡公文殿お上せ申候はんと申定候処に、御風ふるい出候而、無其儀候間、公私一大事之御出事にて候間、政所殿御上洛候て、こヽもとの時宜御念頃に御申候はでは、地下ちやうさん可仕候間、風渡御上候、猶我々も罷上候て申上べく候へ共、一注進之間、〈十五日、廿五日、〉使お御立候へと申候へ共、不被立候間、重守護代自御代官、地頭方へひつかけお以御わび事候へと、我々申上候、料足壱貫文先しゆん付と被仰候て御出候、同五十匹御礼物と談合仕候て御出候、守護代申され候やうは、礼物之事は公事道行候はば可給候、先しゆん付之分、請取お進じ候と申され候て、うけ取お取出候、則其請取返事之状、御代官御持候て御上候、御披見めさるべし、定而日数廻候はヾ重使可入候間、さやう之時は、我々国にて其あつかひおも仕、御百姓中へもいけんおも仕候はでは、事やぶれ候はんずる間不罷上候、委細者政所殿御申あるべく候間、大方申上候、御奉書なんど被畏候はん時之御礼銭なんどの事は、御百姓中へも可申付候、地頭方之ごとく事行候者目出度可畏入候、返々御奉書お御申御下候はでは、地下無異にあるまじく候、安富方之時、両度使入候しか共、不入之事にて候間、おつ立申候て、其沙汰お致たる事なく候、今度もさやうに可仕候へ共、今は御ちきむの御事にて候間、御出事おも仕出候て、御本所之御煩も出来候てはいかヾと存候て、むくらに我々として先使おもあいしらい、さうじ等おも仕候而、こヽもと無為に使おも立候て、政所殿お上せ申候、仍地頭方政所殿之事、御意之まヽいづれも作立申候、公文殿政所殿、久々御しんらうぜひなく候、我々もがいぶん奉公おいたし申候間、政所殿御申あるべく候、此公事に付候て罷上候ては、行事はて候はヾ御しんしやく候へども、公方様地下之一大事にて候間、御上洛候はではと申候て風渡上せ申候、いかやうにも無為の御けいりやく候はヾ、御目出度畏入可存候、此旨以可預御披露候、恐惶謹言、
  七月十六日                衡氏〈判〉
                      盛吉〈判〉                      家高〈判〉
 進上〈東寺〉
     公文所殿