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愚管抄

さて世のすえの大なる変りめは、後三条院の世のすえに、ひとへに臣下のまヽにて、摂籙臣世おとりて、内は幽玄のさかひにておはしまさん事、末代に人の意はおだしからず、脱屣の後太上天皇とて、政おせぬならひはあしき事なりと思召て、かた〴〵の道理さしもやは思召けん、委しくは知らねども、道理のいたりよも叡慮にのこる事あらじ、昔は君は政理かしこく、摂籙の人は一念わたくしなくてこそあれ、世のすえには君はわかくて、幼主がちにて、四十にあまらせ給ふは聞えず、御政理さしもなし、宇治殿〈◯藤原頼通〉などはおほくわたくし有とこそは御覧じけめ、太上天皇にて世おしらん、当今はみな我子にてこそあらんずればと思召ける間に、ほどなく位おおりさせ給て、延久四年十二月八日、御譲位にて、〈◯中略〉五月七日、御年四十にてうせさせ給にけり、