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新蘆面命

後水尾院様、ふと御位お御すべりなされ候故、板倉周防守殿、近衛様へ参られ、不意なる事御世継おも不被仰出、江戸へも不被仰談して、御心まヽなる事ども何事にやと尋被申候、応山公被仰候は、吾等も曾不知、何事にて有けん、防州再三尋被申候へば、御存無之候、中院は存候半哉と被仰候故、中院通村朝臣へ御尋候処、通村仰られ候は、何が面白くて御位に可被成御座候哉、僧何某お紫衣に被仰付候処、江戸にて御奪被成候、如此の有さまにて、何とて御位お御留可被遊候哉と仰られ候、周防守殿にも大に驚き被申、此旨江戸表へ被申上候処、台徳公〈◯徳川秀忠〉大御気色損じ、旧例の如く隠岐国へも御うつし可被成哉と被仰候処、大猶院様〈◯徳川家光〉大に御諌めなされ、是は仙洞様〈◯後水尾〉の御道理至極にて候間、再三御詫なされ候へとの御事にて相すみ、夫故事あはただ敷明正院様御立被遊候、此に付中院殿お何となく関東へ召寄せられ、四五年江戸に御入なされ候、中院殿のあやまちの様にしなしたる也、又大猶院様の御懐紙お御望なされ候時、如比叡慮に候や、葦原よしげらばしげれの御歌おあそばし被遣候、相公もとかくのこと不被仰由也、