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玉露叢

御即位記
寛永七年秋九月十二日、御即位之事あり、是は去年の冬、俄に御位お第一の皇女〈◯明正〉に譲り玉ふ事、昔奈良の京にては数代おはせしかども、此平安城にうつさせ玉ひて後は、八百年に余りて、ためしすくなき御事也、此事江戸に聞召し及ばれ驚かせ玉ひ、本朝は神国にて、天照大神のまさしく姫神にて、天津日嗣お万世まで伝へ玉ふとはいへども、久く希なる御事どもなれば、若し後の代に、御外戚の御勢にて、かヽる事も有けるやらんといはれさせ玉はん名の、事々しからん義お慮んはからせおはします、いとめでたし、然はあれど御脱屣の叡慮かたくものし玉へば、強く諌めさせ玉ふに及ばず、兎も角も叡心のまヽと思食す事に成ぬ、武家より禁裏お崇敬し玉ふ事他に異にして、頼朝卿よりの以来、双びなき御事なり、其上御年もさかりにして、万機の政おいとはせ玉ひ、尭の俊に譲り、俊の禹に譲りし昔は、皆年寄りてのことどもなり、然るに今春秋に富せおはしまして、姑射の雲お眺め、汾水の風お玩び玉はんこと、然るべからざる御計ひ也と武家には思食せども、叡心の趣く所は、武家の政正しく明らかに、おほやけお敬ひ玉へば、御幼帝の御事にても、其たすけ守りと成玉はん事いと安かるべし、片々遂におりいさせ玉へば、武家にももだしがたく、止事お得玉はず、去程に預め今日御即位あるべきに定りぬ、