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大鏡
一花山
寛和二年丙戌六月廿三日の夜、あさましく候し事は、人にもしられさせ給はで、みそかに花山寺におはしまして、御出家入道せさせ給へりしとぞ、御とし十九、よおたもたせたまふ事二年、其後廿二年はおはしましき、あはれなる事は、おりおはしましける夜は、ふぢつぼのうへの御つぼねの小どよりいでさせ給ひけるに、有明の月のいみじうあかヽりければ、見証にこそありけれ、如何あるべからんとおほせられけるお、さりとてとまらせ給ふべきやう侍らず、神璽寳剣わたり(○○○○○○○)給ひぬるにはと、粟田のおとヾ〈◯藤原道兼〉さわがし申給ひける事は、まだ御門出させ給はざりけるさきに、しんじほうけん手づからとりて、東宮〈◯一条〉の御方に渡し奉り給ひてければ、かへりいらせ給はん事はあるまじくおぼして、しか申させ給ひけるとぞ、さやけきかげおまばゆくおぼしめしつる程に、月のかほにむら雲のかヽりて、すこしくらかりければ、わが出家は成就するなりけりとおほせられて、あゆみいでさせ給ふ程に、こき殿の女御〈◯忯子〉の御ふみの日ごろやりのこして、御身もはなたず御覧じけるおおぼしめしいでヽ、しばしとてとりにいらせ給ひけるほどぞかし、あはた殿いかにかくはおぼしめしたちぬるぞ、たヾ今すぎなば、おのづからさはりもぞいでまうできなんとそらなきし給ひける、