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 附廃帝
廃帝の事は、人臣として言ふに忍びず、猶も之お掲ぐるに忍びざる所なり、然れども其実お伝ふるには、亦之お挙げざるお得ず、実に已むお獲ざるなり、此篇に挙ぐる所は、淳仁仲恭の二天皇にして、淳仁天皇の廃黜は、姦髠の逆謀に出でたりと雖も、前帝の詔お仮りて之お行ひしものにして、真に廃黜せられたまひしなり、其淡路に蹕お移したまひしお以て、後世淡路廃帝と称す、仲恭天皇は、陪臣北条義時、大逆無道にして、後鳥羽、土御門、順徳の三上皇おして、蒙塵せしめ奉り、其余焔天皇おして、自ら其位お去り給ふに至らしめたりと雖も、此れ実に北条義時の意にして、即ち廃立お行ひしなり、故に当時九条廃帝と称す、而して淳仁と雲ひ、仲恭と雲ふ諡は、実に明治聖上の追ひて上らせたまひし所なり、此余陽成天皇は、藤原氏の意お以て之お廃したりと雖も、其表面に在りては、恒例の内禅と為したれば、今は之お譲位の篇に収めたり、安徳、後醍醐、光厳、崇光天皇の如きは、太上天皇の号お上りしお以て、之お太上天皇の篇に挙げ、其説お解題に載せたり、