[p.0620][p.0621]
十訓抄

白河院御位の時、野行幸といふ事有て、嵯峨野におはし付て、放鷹楽おすべきお、笛かならず二人有べきに、大神惟季が外に此楽お習ひ伝ふるものなかりけり、これに依て、井戸の次官あきむねと雲管絃者お召て、惟季と共に仕るべきよし仰有ければ、かさねの装束して、楽人にくはヽりければ、ともにいみじき面目なりけり、今日の宴いみじきことなりければ、舞人も物の上手おえらばれけるに、五人、光季、高季、則季、成兼、経遠、今一人たらざりければ高季が子の末童にて、年十四なるお召して、蔵人所にて、俄に男になしてくはへられけり、時の人面目なりとぞ申ける、かくめでたき事に、あきむねさせる道のものにもあらぬお、笛によりて召出されたるいみじき事といひけるほどに、大井川に舟楽の時、笛お川の淵におとし入て、えとらざりければ、竜頭に惟季笛おふく、鷁首には笛吹なくてえ楽おせず、人これお笑ひけり、いみじき失礼にてぞありける、始の面目後の不覚たとへなかりけり、今度の御会には、土御門右大臣〈◯源師房〉序題お奉られけり、其詞雲、
境近都城、故無車馬之煩、路経山野、故有雉兎之遊、とぞかヽれたる、歌もおほくきこえける中に、御製ぞ勝れたりける、
大井川古き流お尋来てあらしの山の紅葉おぞ見る、通俊中納言、後拾遺おえらばれける時入奉りけり、
◯按ずるに、柱史抄野行幸の条に、承保以後無此儀歟とあるに拠れば、白河天皇以降永く廃絶せしものなるべし、