[p.0621][p.0622]
おもひのまヽの日記
いつのころぞとよ、白河院承保の例に任て、大井河の行幸侍き、鷹にかヽづらふずい身、左右の大将おはじめて、いとめづららかなる事なれば、けふおはれといろ〳〵のそめしやうぞく、からやまとの色あひおつくしたり、御みちには都よりさがのまで、秋の花紅葉おわざとこきちらせるにしきのうへおあゆむ心ちぞする、左右の鷹飼かり衣のすがたいとおもしろし、おりしもうち時雨たる雲まの夕日に、こがね色なるきじのたちのぼるお、いとしろきたかのとりてほうれんのうへにいたるさま、延喜〈◯醍醐〉の白せうがふるまひもかくこそと、いとえむにめも心も及ばずぞ侍る、大井川のせうえうの和歌序は、左大臣たてまつる、承保に土御門の右大臣の名句どもかヽれたるにもなほたちまさりて、世のもてあそび物、人のくちずさみになり侍りける、むかしはつねのことなりしお、天神〈◯菅原道真〉なども申とヾめさせ給ひしかば、まれなる事に侍しお、白河院の御代のおさまれるあまり、野行幸までもはえ〴〵しくさたありしとぞ、このたびもうけたまはり侍し、あさ光などいひしみめよき大将などは、ちかごろはなかりしに、けふは左右大将いづれとわきがたく、みめかたちすぐれて見ゆ、源氏の太政大臣、大原野の行幸のためしおもひいでヽ鳥たてまつる人もあるべし、きりふの岡の千代のためしおかけたることのはども、中々とてかきとヾめず、みなおしはかるべし、