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栄花物語
二十三駒くらべ
はかなく九月〈◯万寿元年〉にもなりぬ、関白殿〈◯藤原頼通〉高陽院どのにて、こまくらべせさせ給て、行幸〈◯後一条〉行啓あるべき御いそぎあり、いとヾしきとのヽありさまお、心ことにはらひみがヽせ給程、いへばおろかにめでたし、此世には冷泉院京極殿などおぞ、人おもしろき所と思ひたるに、高陽院殿のありさまこの世のことヽ見えず、かいりうわうの家などこそ、四季は四方にみゆれ、此殿はそれにおとらぬさまなり、れいの家つくりなどにもたがひたり、寝殿の北南西東などにはみないけあり、なかじまに釣殿たてさせたまへり、東のたいおやがてむまばのおとヾにせさせ給てそのまへに北みなみざまに、むまばせさせ給へり、めもはるかにおもしろくめでたき事、心もおよばずまねびつくすべくもあらず、おかしうおもしろしなどは是おいふべきなりけりとみゆ、絵などよりはこれは見所ありておもしろし、大宮〈◯後一条母后彰子〉京極殿におはしませば、九月十四日の夜、やがて高陽院殿にわたらせ給、〈◯中略〉おなじ月の十九日、〈◯九恐五誤〉駒くらべせさせ給、日ごろだにありつる人、けふはとりわきめでたし、みかどのおはしますべき大床子、寝殿の南おもてにたてヽ御座よそひたり、みのときばかりにぞ行幸ある、御階に御輿よせておりさせ給、さておはしましていさせ給て、春宮おはします、陣のとにて事のよし奏して、御車陣にてかきおろして、筵道まいりておりさせ給、西の廊のなかのつまどよりいらせ給て、にしのたいのすのこよりとほりて、わたどのヽすのこおわたらせ給て、しんでんに南おもてよりいらせ給て、御座につかせ給ぬ、東宮〈◯後朱雀〉の御座はひらざなり、みすのうちのありさまおもひやられてえまし、みやのおまへ〈◯彰子〉のまちみたてまつらせ給らん、おもひやりきこえさせぬ人なし、入道殿〈◯藤原道長〉は東の対の北のかたによりて文殿あり、そこにみすかけたり、さるべき僧どもおほくぐしておはします、みやの女房のありさま、寝殿のにし南おもてよりにしの渡殿まで、すべていとおどろおどろしうもみぢがさねいろおつくしたり、つねの事どもなればいひつくさず、にしのたいには上達部つき給ぬ、さるべくみなものなどきこしめしまいりて、やう〳〵ふながくどもこぎいでたり、そはひ、こまがたなど、さま〴〵まひいで、いまは東の対にわたらせ給、又そこにて大床子におはします、すこしさりて東宮おはします平座なり、あるじのおとヾおはじめたてまつり、上達部殿上人みなひきつれて東の対にまいり給、いづれの殿ばらもみな御装束めでたきなかに、関白どの〈◯道長子頼通〉の御したがさねのきくのひへぎ、かヾやきてめとヾまりたり、くらべむま十八番也、なまよろしきおりのだに、のり人も馬もいみじういどみてとみにやはいづる、むまの心ちもいといみじう世にめでたしと思て、ともすればいでヽはひき入〳〵するほど、いといみじう心もとなく見えたり、さてのみあるほどもひさしければ、やヽたび〳〵仰らるれば、出そめてたびたびに成て、左右かたみにかちまけするほどの乱声のおともはしたなげなるまでおかし、かちまけののり人のかづけものヽほどなどかたわきいどみたり、又やがてこのなかのとねりどもかた人して、東宮の帯刀ども、あひまじりて騎射いさせ給、勝負の舞などもおかしうてはてぬればがくその物のねども、くらうなるまヽにいみじうおもしろし、なかじまにぞ、楽所はせさせ給ける、上達部殿上人なども、いにしへ中頃などの事おぼえ給は、またあがりてもかヽることは見ずなん有しなど、いみじうめでけうじ聞え給、事どもはてヽよにいりてかへらせ給、御おくり物ども、御心の及ばせ給かぎりせさせ給へり、かんたちめの禄、殿上人のかづけ物など、よにたぐひなきまでせさせ給へり、家司どもさま〴〵によろこびしたり、〈◯又見百練抄、扶桑略記、続世継、〉