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続世継
一こがねの御法
治暦三年十月十五日には、宇治の平等院にみゆきありて、おほきおとヾ、〈◯藤原頼通〉二三年かれにのみおはしまししかば、わざとのみゆき侍りてみたてまつらせ給(○○○○○○○○○○○○○○○○○○)とぞうけ給はりし、うぢばしのはるかなるに、舟よりがく人まいりむかひて、宇治川にうかべてこぎのぼり侍けるほど、からくにもかくやとぞみえけると人はかたり侍しみだうの有さま、川のうへににしきのかりやつくりて、池のうへにもからふねにふえのねさま〴〵しらべて、御前のものなどは、こがね白がね色々の玉どもおなんつらぬきかざられたりける、十六日にかへらせ給べきに、あめにとヾまらせ給て、十七日にふみなどつくらせたまふ、そのたびのみかどの御製とてうけ給はり侍しは、
 忽看烏瑟三明影、暫駐鸞輿一日従、
とかやつくらせたまへるとほのかにおぼえ侍る、おりにあひておぼしよらせ給ひけんほど、いとめでたき事としりたる人申ける、そのたびぞ准三后の宣旨は、宇治殿かうふらせ給けるときこえさせ給ひし、