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増鏡
十五村時雨
又の年〈◯元弘元年〉の春やよひのはじめつかた、花御らんじに北山〈◯藤原公宗別荘〉に行幸〈◯後醍醐〉なる、つねよりもことにおもしろかるべいたびなれば、かの殿にも心ずかひし給、まづ中宮行啓、又の日行幸、前右のおとヾ兼季まいり給て、楽所の事などおきてのたまふ、康保〈◯村上〉の花のえんのためしなど聞えしにや、北どのヽさじきにて、うち〳〵試楽めきて、家房朝臣舞せらる、御簾のうちに大納言二位殿、播磨内侍など琴かきあはせていとおもしろし、六日の辰の時にことはじまる、宸殿の階の間に御しとねまいりて、内のうへおはします、第二の間に后の宮、その次永福門院、〈◯伏見后【G金・章】子〉昭訓門院〈◯亀山后瑛子〉もわたらせ給けるにや、階の東に二条前殿、〈道平〉堀河大納言、〈具親〉春宮大夫、〈公宗〉侍従中納言、〈公明〉御子左中弁、〈為定〉中宮権大夫〈公泰〉などさぶらはる、右おとヾ兼季琵琶、春宮権大夫冬信笛、源中納言具行笙、治部卿篳篥しやうの琴は室町宰相公春、琵琶園宰相基氏など聞えしにや、その日の事見給へねばさだかにはなし、おさなきわらはべなどのしどけなくかたりしまヽなり、〈◯中略〉御すのうちにも、大納言二位殿琵琶、播磨の内侍筝、女蔵人高砂といふも琴ひくとぞ聞し、まことにやありけん、中務の宮、〈◯尊良〉もまいり給へり、兵仗たまはり給て、御直衣にたちはき給へり、御随身どもいときよらにさうぞきて所えたるさまなり、万歳楽より納蘇利まで十五帖手おつくしたるいとみどころおほし、青海波おけしきばかりにてやみぬるぞあかぬ心ちしける、くれかヽる程、花の木のまに夕日はなやかにうつろいて、山の鳥もこえおしまぬほどに、陵王のかがやき出たるは、えもいはずおもしろし、その程うへも御ひきなおしにて倚子につかせ給て、御笛ふかせ給、つぬよりことに雲井おひヾかすさまなり、宰相中将顕家、陵王の入あやおいみじうつくしてまかづるおめしかへして、前関白殿御ぞとりてかづけ給ふ、紅梅のうはぎ、二色のきぬ也、左の肩にかけて、いさヽか一曲舞てまかでぬ、右のおとヾ大鼓うち給、そのヽち源中納言具行採桑老お舞、これもくれないのうちたるかづけ給ふ、又の日無量光院のまへの花の木蔭に、上達部たちつヾき給ふ、廂に倚子たてヽうへはおはします、御遊はじまる、拍子治部卿まいる、うへもさくら人うたはせ給、御こえいとわかくはなやかにめでたし、こぞの秋ごろかとよ、すけちかの中納言にこの曲はうけさせ給て、賞に正二位ゆるさせ給しも、けふのためとにやありけんといとえん也、ものヽ手どもとヾのほりて、いみじうめでたし、其後歌どもめさる、花おむすびて文台にせられたるは、保安〈◯鳥羽〉のためしとぞいふめりし、春宮大夫公宗序かヽれたり、〈◯中略〉よろずあかず名残おほかれど、さのみはにて、九日にかへらせ給ぬ、〈◯又見舞御覧記〉