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万葉集
一雑歌
幸讃岐国安益郡之時軍王見山作歌
霞立長春日乃(かすみたつながきはるひの)、晩家流和豆肝之良受(くれにけるわづきもしらず)、村肝乃心乎痛(むらきものこヽろおいたみ)、奴要子鳥卜歎居者(ぬえこどりうらなけおれば)、珠手次懸乃宜久(たまたすきかけのよろしく)、遠神吾大王乃(とほつかみわがおほきみの)、行幸能山越風乃(いでましのやまごしのかぜの)、独座吾衣手爾(ひとりおるわがころもでに)、朝夕爾還比奴礼婆(あさよひにかへらひぬれば)、丈夫登念有我母(ますらおとおもへるわれも)、草枕容爾之有者(くさまくらたびにしあれば)、思遣鶴寸乎白土(おもひやるたづきおしらに)、綱能浦之海処女等之(つのヽうらのあまおとめらが)、焼塩乃念曾所焼吾下情(やくしほのおもひぞやくるわがしたごヽろ)、 反歌
山越乃風乎時自見寐夜不落家在妹乎懸而小竹櫃(やまごしのかぜおときじみぬるよおちずいへなるいもおかけてしぬびつ)
右撿日本書紀、無幸於讃岐国、亦軍王未詳也、但山上憶良大夫類聚歌林曰、紀曰、天皇〈◯舒明〉十一年己亥冬十二月己巳朔壬午、幸于伊予温湯宮雲々、