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おもひのまヽの日記
六月二十日ごろ、いとあつきころなれば、いづみもてあそび給ふとて、二条の家に行幸あり、御かたたがひのよしなり、あるじの殿〈◯藤原良基〉たちいけいめいせらる、山のすがた水の心ばへ、いとおもしろし、東にたかき松山あり、山のふもとよりわきいづる水のながれ、松のひヾきおそへていとすヾし、水のうへに二かいおつくりかけたれば、やがて座の中おながれ行石間の水、さながらそでうつばかりなり、ながれの末の池のすがた、入江〳〵にしま〴〵のたたずまひいとおもしろく、西のながれのすえに山お隔て、五尺ばかりの滝落たり、滝のうへにつくりかけたる二かいのさまなど、山里めきていとおかしう見ゆ、池の水には三の舟おうかぶ、詩歌管絃なるべし、まづ歌の舟にめされて御あそびあり、あるじの殿左右の大将など御ふねにまいる、詩の舟には太政大臣のる、管絃は右大臣以下のる、池水三まはりのヽち、また管絃の舟にめしうつりて御楽あり、そのヽち一日の殿におりさせ給てなほ御遊、簾中の物のねどもいとおもしろし、詩歌のひかう、夜に入てやがてつり殿に御倚子お立てつかせ給、水の流にさか月うけて詩歌つかうまつる、曲水の宴の心ちぞするや、ひ水すいはんなどまいりて、よ一夜あそびあかさせ給、かつらのうかひかヾりともして、にし河のあゆなどもてあそばせ給ふ、あくるあした北の馬場のおとヾにて、殿上人ずいじんのけいばあり、腰輿にてばヾ殿へ行幸あり、殿以下みなあゆみつヾかせ給ふ、ばヾのやは、にしひんがしへおかしくつくりつヾけたり、ひんがしおもてにはまりのかヽりあり、いとすヾしき木だちものきよげに、塵もすえぬしらすに、あおみわたれる柳さくらの夏ふかき木だちもおりしりがほなり、松屋の殿上人どもおもひ〳〵に出たつ、けいこのすがたいとおもしろし、けい馬はてぬればやがて御まりあり、弘長〈◯亀山〉嘉元〈◯後二条〉の例にまかせて、あるじの殿あげまりおつとむ、難波御子左の人々、おもしろきあしども数おつくしておもひやるべし、月になりゆくまで数おほくあがる、事はてぬればまたいづみの屋へかへらせ給、今夜はまた内々の詩歌あはせなり、いとおもしろき女房の歌ともお名ある文人に合らる、三百番の判者おさだめられて、こと葉おかくべきよしさたあり、これもいみじきすえの代のもてあそびものならんかし、けふ三け日御とうりう、さまざまのことおつくさせ給、さてもやこよひあるじの殿天盃お給はる、御かはらけ給てみぎりにおりて舞踏す、直衣のすがたいとめづらし、家礼の人々三十人ばかり、地にくだりぬるいとびヽしくぞ見えし、家の賞に二位三位などする女房もあまたあるべし、夜に入て上のしむでんよりかへらせ給、御馬十匹うつしおきてたてまつる、その外御おくり物くだ〳〵しければ中々にしるさず、