[p.0660][p.0661]
平治物語

主上六波羅行幸事主上〈◯二条〉は北陣に御車おたて、女房の飾お召て、御鬘お奉る、同御宝物共お渡し奉らんとて、内侍所の御唐櫃も大床迄出たりけるお、鎌田が郎等、怪しめ奉りて留進らせけるお、伏見源中納言師仲卿に申合て、坊門局の宿所へぞ遷し奉りける、中宮も主上と一車にぞ召れける、別当惟方、新大納言経宗直衣に柏ばさみして供奉し、藻壁門より行幸なし奉れば、此門は金子平山固たり、家忠如何なる御車ぞと申せば、別当、上〓女房達の出させ給ふ也、惟方があるぞ、別の子細あるまじと宣へ共、金子猶怪て弓の筈にて簾掻揚、松明振入て見奉れば、二条の院御在位の始、御歳十七に成給ふ上、竜顔本より美しくおはしますに、花やかなる御衣は召れたり、誠に目も迷ふ計の女房に見えさせ給ふ、中宮はおはします、争か見咎め奉らん、故なく落し進らせけり、清盛郎等伊藤武者景綱、黒糸威服巻の上に、小張著て雑色になる、館太郎貞康、黒革腹巻の上に牛飼装束して御車お仕る、上東門おからりと遣出す程こそあれ、土御門お飛が如くに行幸なる、左衛門佐重盛、三河守頼盛、常陸介経盛三百余騎にて、土御門東洞院に待うけ奉り、御車の前後お守護して、六波羅へこそ入奉りけれ、事故なく行幸成てければ、平家の人々勇悦ぶ事限なし、