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保暦間記
権中納言右衛門督藤原信頼卿と申は、〈◯中略〉家に絶たる大臣の大将お心懸け給へり、同比少納言入道信西と申は、〈◯中略〉院〈◯後白河〉の御乳母程の人也ければ、〈◯中略〉信頼が事仰合られけるに、有べからぬ事と申たりければ、此事信頼聞て憤お成して、下野守源義朝お語ひて、平治元年十二月九日の夜、院の御所へ押寄て、院お取奉て内裏へ入れ奉て、〈◯中略〉信頼内裏にて、天子の如くに住けり、主上〈◯二条〉忍玉ひて、清盛朝臣が六波羅の宿所へ御車にて行幸なる、