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源平盛衰記
三十一
平家都落事
去程に平家は、日頃法皇〈◯後白河〉おも、西国へ御幸なし進せんと支度し給たりけれ共、かく渡らせ給ねば、憑む木本に雨のたまらぬ心地して、去とては行幸計成とも有べしとて、卯時の終りに出御あり、御輿お指寄ければ、主上〈◯安徳〉はいまだ幼き御齢なれば、何心もなく召奉る、神璽寳剣取具して、建礼門院〈◯母后平徳子〉御同輿に召る、内侍所も同く渡入奉る、平大納言時忠卿庭上に立廻て、印鎰、時の簡、玄上鈴鹿、大床子、河霧御剣以下、九重の御具足、一も取落すべからずと下知せられけれ共、人皆あわてつヽ我先に〳〵と出立ければ、取落す物多かりけり、昼の御座の御剣も残留たりけるとかや、御輿出させ給ければ、内大臣宗盛公父子、平大納言時忠卿父子、蔵人頭信基計ぞ、衣冠にて被供奉けり、其外は公卿殿上人、近衛官、御縄介の末に至るまで、老たるも若も皆甲冑お著し、弓箭お帯して打立けり、七条お西へ、朱雀お南へ行幸なる、唯夢の様なりし事共也、〈◯又見平家物語〉