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源平盛衰記
三十三
平家太宰府落并平氏宇佐宮歌附清経入海事
去程に主上〈◯安徳〉は駕輿丁なければ、玉の御輿おも不奉、御伴の公卿殿上人は奴袴の傍お取、女房北方は裳唐衣お泥に引いづ、習たるにはあらねども、畏しさの余に悲き事も覚えず、かちはだしにて我先に我先にと、箱崎の津に逃給けるぞ無慚なる、〈◯中略〉箱崎津も難始終協ければ、是より又兵藤次秀遠に具せられて、筑前国山鹿の城へぞ入らせ給ふ、〈◯中略〉山鹿城にも未御安堵なかりける処に、惟義十万余騎にて押寄ると聞えければ、又取物も取敢ず、山鹿城おも落させ給ひて、たかせ舟に乗移、豊前国柳と雲所へ渡入らせ給ひけり、〈◯又見平家物語〉