[p.0665]
承久軍物語

山田の二郎重忠は、くひぜ川の軍に打まけ、都へ帰り登りつヽ、賀陽院の御所へ参りつヽ、方々の官軍いくさに打まけ、凶徒等都近く攻寄候なり、いかにも御計あるべき由奏し申ければ、上皇〈◯後鳥羽〉いかヾ思召けん、六月八日〈◯承久三年〉酉の刻に、日吉の社に御幸なる、〈◯中略〉主上〈◯仲恭〉もひそかに女房輿に召れて行幸なる、ことし四歳にならせ給ふが、大相国のむすめ、中納言の局と申人相そひ奉る、剣璽は御輿におはします、職事は資頼具実なり、