[p.0667][p.0668]
太平記

天下怪異事
元弘元年〈◯中略〉八月廿四日、夜に入て大塔宮〈◯尊雲〉より窃に御使お以て、主上〈◯後醍醐〉へ申させ給ひけるは、今度東使上洛の事、内々承候へば、皇居お遠国に遷し奉り、尊雲お死罪に行はん為にて候なる、今夜急ぎ南都の方へ御忍候べし、城郭いまだ調はず、官軍馳参せざる先に、凶徒若し皇居に寄来らば、御方防ぎ戦ふに利お失ひ候はんか、且は京都の敵お遮り止んが為、又は衆徒の心お見んが為に、近臣お一人天子の号お許されて、山門へ上せられ、臨幸の由お披露候はヾ、敵軍定て叡山に向て合戦お致し候はんか、さる程ならば衆徒吾山お思ふ故に、防闘ふに身命お軽じ候べし、凶徒力疲れ合戦数日に及ばヽ、伊賀伊勢大和河内の官軍お以て、却て京都お攻られんに、凶徒の誅勠踵お旋すべからず、国家の安危、隻此一挙に在べく候なりと申されたりける間、主上隻あきれさせ給へる計にて、何の御沙汰にも及給はず、尹大納言師賢、万里小路中納言藤房、同舎弟季房、三四人上臥したるお御前に召れて、此事如何有べしと仰出されければ、藤房卿進て申されけるは、逆臣君お犯し奉らんとする時、暫く其難お避て、還て国家お保は、前従皆佳例にて候、所謂重耳走翟、大王去豳、共に王業お成て、子孫無窮に光お耀し候き、兎角の御思案に及候はヾ、夜も深候なん、早御忍候へとて御車お差寄、三種の神器お乗奉り、下簾より出絹お出して、女房車の体に見せ、主上お扶乗進らせて、陽明門よりなし奉る、御門守護の武士共、御車お押へて誰にて御渡り候ぞと問申ければ、藤房季房二人、御車に従て供奉したりけるが、是は中宮の夜に紛れて、北山殿へ行啓ならせ給ふぞと宣ひたりければ、さては子細候はじとて御車おぞ通しける、兼て用意やしたりけん、源中納言具行、按察大納言公敏、六条少将忠顕、三条河原にて追付き奉る、此より御車おば止られ、怪しげなる張輿に召替させ進らせたれども、俄の事にて駕輿丁も無りければ、大膳大夫重康、楽人豊原兼秋、随身秦久武などぞ御輿おば舁奉りける、供奉の諸卿皆衣冠お解て、折烏帽子に直垂お著し、七大寺詣する京家の青侍などの、女性お具足したる体に見せて、御輿の前後にぞ供奉したりける、古津の石地蔵お過させ給ひける時、夜は早ほのぼのと明にけり、此にて朝餉の供御お進め申て、先南都東南院へ入せ給ふ、〈◯中略〉同廿七日、潜幸の儀式お引つくろひ、南都の衆徒少々召具せられて、笠置の石室へ臨幸なる、