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太平記
十一
諸将被進早馬於船上事
都には五月十二日、〈◯元弘三年〉千種頭中将忠顕朝臣、足利治部大輔高氏、赤松入道円心等追々早馬お立て、六波羅已に没落せしむるの由船上へ奏聞す、〈◯中略〉同廿三日、伯耆船上お御立有て、腰輿お山陰の東にぞ催されける、路次の行粧例に替て、頭大夫行房、勘解由次官光守二人計こそ衣冠にて供奉せられけれ、其外の月卿雲客、衛府諸司の助は、皆戎衣にて前騎後乗す、六軍悉甲冑お著し、弓箭お帯して、前後三十余里に支へたり、塩谷判官高貞は、千余騎にて、一日先立て前陣お仕る、又朝山太郎は、一日路引後れて、五百余騎にて後陣に打けり、金持大和守、錦御旗お差て左に候し、伯耆守長年は帯剣の役にて右に副ふ、