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太平記
十一
正成参兵庫事附還幸事
兵庫に一日御逗留有て、六月二日、瑶輿お廻らさるヽ処に、楠多門兵衛正成、七千余騎にて参向す、〈◯中略〉兵庫お御立有ける日より、正成前陣お承て、畿内の勢お相随へ、七千余騎にて前駆す、其道十八里が間、干戈戚揚相挟、左輔右弼列お引き、六軍次お守り、五雲閑に幸すれば、六月五日の暮程に、東寺迄臨幸成、〈◯中略〉翌日六月六日、東寺より二条の内裏へ還幸成、〈◯中略〉さる程に千種頭中将忠顕朝臣、帯剣の役にて鳳輦の前に供奉せられけるが、尚非常お慎む最中なればとて、帯刀の兵五百人二行に歩せらる、高氏直義二人は、後乗に従て百官の後に打る、衛府の官なればとて、騎馬の兵五千余騎甲冑お帯して打る、其次に宇都宮五百余騎、佐々木判官七百余騎、土居、得能二千余騎、此外正成、長年、円心、結城、長沼、塩谷已下諸国の大名は、五百騎、三百騎、其旗の次に、一勢々々引分て、輦路お中にして閑に小路お打たり、凡路次の行粧、行列の儀式、前々の臨幸に事替て、百司の守衛厳重なり、見物の貴賤岐に満て、隻帝徳お容し奉る声、洋々として耳に盈り、