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太平記
十六
聖主又臨幸山門事
官軍の総大将義貞朝臣、才に六千余騎に討成されて、〈◯中略〉官軍若戦に利お失はヾ、前の如く東坂本へ臨幸成べきに兼てより議定ありければ、五月十九日、〈◯延元元年〉主上三種の神器お先に立て、竜駕おぞ廻らされける、〈◯中略〉此春も山門へ臨幸成て、程なく朝敵お対治せられしかば、又さる事やあらんと、定なき憑みに積習して、此度は公家にも武家にも供奉仕る者多かりけり、摂籙の臣は申に及ばず、〈◯中略〉武家の輩には、新田左中将義貞、〈◯中略〉是等お宗徒の侍として、其勢都合六万余騎、鳳輦の前後に打囲て、今路越にぞ落行給ひける、