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太平記
十八
先帝潜幸芳野事
刑部大輔景繁、武家の許お得て、隻一人伺候したりけるが、勾当内侍お以て潜に奏聞申けるは、越前金崎の合戦に、寄手毎度打負候なる間、〈◯中略〉天下の反覆遠からじと欧歌の説耳に満候、急ぎ近日の間に、夜に紛れて大和の方へ臨幸成候て、吉野十津川の辺に皇居お定られ、諸国へ綸旨お成下され、義貞が忠心おも助られ、皇統の聖化お耀され候へかしと、委細にぞ申入たりける、主上事の様お具に聞召れ、〈◯中略〉明夜必寮の御馬お用意して、東の小門の辺に相待べしとぞ仰出されける、相図の刻限にも成ければ、三種の神器おば新勾当内侍に持せられて、童部の踏あけたる築地の崩れより、女房の姿にて忍出させ給ふ、〈◯中略〉景繁則吉野へ行向ひ、当寺の宿老、吉水法印に此由お申ければ、〈◯中略〉若大衆三百余人、皆甲冑お帯して御迎にぞ参りける、此外楠帯刀正行、〈◯中略〉五百騎、三百騎、引も切らず、面々馳参ける間、雲霞の勢お腰輿の前後に囲ませて、程なく吉野へ臨幸なる、