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太平記
三十七
持明院新帝自江州還幸事
帝都の主上〈◯後光厳〉は、未だ近江の武作寺に御坐有て、京都の合戦いかヾ有んと、御心苦敷く思食ける処に、康安元年十二月廿七日に、宰相中将、〈◯足利義詮〉早馬お立て、洛中の凶徒等、事故なく追落し候ぬ、急ぎ還幸なるべき由お申されたりければ、〈◯中略〉其翌の朝竜駕お促されて、先比叡山の東坂本へ行幸成て、此にて御越年あり、〈◯中略〉三月十三日に、西園寺の旧宅へ還幸なる、