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応仁記

室町亭行幸之事
此日〈◯応仁元年八月十八日〉西陣〈◯山名持豊〉の敵内裏へ切入、君お奉取と雲事有ければ、内裏〈◯後土御門〉仙洞〈◯後花園〉行幸御幸お、室町殿へ成可申之由勝元〈◯細川〉執被申けり、此間禁中警固には、吉良左兵衛佐、同上総介、赤松伊豆守、名越次郎にてぞ有ける、御迎に細川下野守兄弟参上し、三種神器お先立て行幸ある、猶内裏の御留守の為警固と吉良の一族、并赤松土佐守、同宮内少輔御門お守護しけり、女官局町女房達、興お醒而周章騒倒翌給事限なし、中御門、西園寺殿には、京極陣お取、二条烏丸には、武田陣お取けるに、此内へと逃集る、援に花の御所に十二人の人々諍乱、故に天子仙院の玉輦お総門の外に留奉れば、午の刻より亥の刻迄、供奉の公卿殿上人女官等に至る迄、皆小路にひれ臥て憂おもよほしける、〈◯中略〉さて其日、廿三日の亥刻に及んで、花の御所〈◯足利氏第宅〉の御会おかまへ、天座として行幸おぞなし奉る、此時迄門外に天子の御車お留奉る事は、公方〈◯足利義政〉常に山名方へ御心お被寄の由風聞なれば、今若十二人お御同心ありて、山名方へ御出あらば、勝元は一院主上お守り奉て、合戦おばせんとの謀有けるが、公方様も勝元と一同にて、十二人お被追出ければ、細川方喜悦かぎりなし、