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 附朝覲行幸
朝覲とは、支那にて諸侯の天子に謁見するの称なれど、我邦にては、天皇の、太上天皇、皇太后等お拝したまふお謂ふなり、歳首の朝覲は、多く正月三日四日の両日お用いれども、或は吉日お択ぶあり、忌月お避くるあり、或は他の事故に由りて、其日お改むるありて、必しも一定せず、此外に即位後の朝覲、元服後の朝覲等あり、抑も朝覲は、炉簿お備へ、儀衛お厳にすることなれど、御所に近づきては警蹕お停め、中門外にて御輿より下り給ふが如きは、敬親の意に外ならず、而して母后に朝覲して還御の時に、階下にて鳳輦に御するは、仁明天皇に始まる、天皇の母后に朝し給ふや、其炉簿の盛儀お観んと欲して此命ありし故なり、又天皇の、上皇の御前にて笛お吹き給ふことは、一条天皇に始まりて、後世多く此事あり、且つ幼帝は、母后と同輿し給ふお以て例とすれども、或は元服前の朝覲お以て非とするの説あり、又父帝母后等の大漸お奉問し給ふときは、炉簿の備はるお待たず、遽に之に趣き給ふお以て、是お非常の行幸と為せり、又後世に至り、御所の接近したるときは、亦炉簿お備へず、歩儀お用いさせ給へり、