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公事根源

朝覲行幸 二日〈◯正月〉
是は天子年の始に、上皇并母后の宮に行幸なる事有、嵯峨天皇大同四年八月に、朝きんの儀ははじまる、嘉祥二年正月廿日に、仁明の御門、母后に朝きんのため、冷泉院に行幸なる、彼時御門南階おくだりて、笏おたヾしくして跪給し事も侍にや、周礼、春日朝、秋日覲、と見えたり、是朝覲の心なり、漢高祖は、五日に一度、父太公に朝せられける、人の御門にも其ためし有事にこそ、
◯按ずるに、嘉祥二年正月廿日は、三年正月四日の誤なり、猶下に掲ぐる続日本後紀お参看すべし、