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増鏡
十三秋のみ山
あくる春〈元亨二〉正月三日、朝覲の行幸〈◯後醍醐〉あり、法皇〈◯後宇多〉は御おとうとの式部卿のみこの御家、大炊御門京極〈常磬井殿〉といふにぞおはします、内裏は二条万里小路なれば、陣のうちにて、大臣以下かちよりつかうまつらる、関白久我太政大臣、〈◯源道経〉左大臣、〈◯藤原実泰〉右大将、〈◯藤原兼季〉左大将〈冬教〉中宮大夫実衡、中納言には、具親、公敏、為藤、顕実、経定、宰相には、実任、冬定、公明、光忠、中将には、公泰、資朝、殿上人は、頭中将為定、修理大夫冬方おはじめてのこるはすくなし、此院は池のすまひ、山の木だちもとよりよしあるさまなるに、時ならぬ花の木ずえおさへつくりそへられたれば、春のさかりにかはらず、さきこぼれたるに、雪さへいみじくふりてのこる常磐木もなし、洲崎にたてる鶴のけしきも、千代おこめたる霞の洞は、まことに仙の宮もかくやと見えたり、京極おもての棟門に、御輿おおさへて、院司ことのよしおそうす、乱声のヽち中門に御輿およす、中門の下よりいづるやり水に、ちひさくわたされたるそりはしの左右に両大将ひざまづく、剣璽は権亮宰相中将公泰つとめられしにや、関白公卿の妻戸の御簾おもたげて入たてまつらせ給、とばかりありて、寝殿の母屋の御簾みなあげわたして、法皇いでさせ給へり、香染の御衣、おなじ色の御袈裟なり、御袈裟の箱御そばにおかる、内のうへ〈◯後醍醐〉公卿の座より高欄おへ給ふ、御ともに関白さぶらひ給、階の間より出給て、廂におましたてまつりたれば、御拝したまふ程、西東の中門の廊に、上達部おほくうちかさなりて見やりたてまつる中に、内の御めのとの吉田の前大納言定房、まみいたうしぐれたるぞあはれにみゆる、そのかみの事など思ひいづるに、めでたき悦の涙ならむかし、御拝おはりぬれば、又もとの道おへたまひて公卿座にいらせ給ぬ、法皇も内に入たまひて、しばしありて、左右の楽屋の調子とヾのほりてのち、又御門いらせ給、法皇もおなじまのうちに、御しとねばかりにておはします、すえのひさしに内よりまいれる女房どもさふらふ、〈◯中略〉上達部座に著て後、御台まいる、やくそうは、公泰宰相中将、陪膳右大将、〈兼季〉その程舞人ひざまづき、地下の舞はめなれたる事なれど、おりからにやけふはことにおもヽちあしぶみもめでたくみゆ、〈◯中略〉そのヽち御まへの御あそびはじまる、頭大夫冬賢御箱のふたに御笛入てもちてまいる、関白とりて御前にまいらせ給、右大将も笛、中宮大夫琵琶、大宮大納言笙、春宮大夫こと、右宰相中将は和琴、光忠宰相篳篥、兼尊も吹しにや、柏子左大臣、すえ、冬みつの宰相、ふけゆくまヽに、うへの御笛のすみのぼりていみじくさえたり、左のおとヾの安名尊、伊勢の海かぎりめでたくきこゆ、ことヾもはてぬれば、御おくり物まいる、錦の袋に入たる御ふえ、箱の蓋にすえらる、左大臣とりつぎて関白にたてまつる、御前に御らんぜさせて、冬方おめして給はす、次に唐の赤地の錦の袋に、御琵琶入てまいる、そのヽち御むま、殿上人くちおとりて御まへに引出たり、ほの〴〵とあくるほどにぞ帰らせ給ぬる、