[p.0710]
源平盛衰記
十六
遷都附将軍塚附司天台事
治承四年五月廿九日には、都遷あるべき由有其沙汰、来月三日、福原へ行幸〈◯安徳〉と被定仰下けり、〈◯中略〉兼ては六月三日と有披露しに、俄に二日に被引上ける間、〈◯中略〉御伴の上下、いとヾ周章騒、取物も不取敢、帝王の稚く御坐すには、后こそ同輿には召に、是は御乳母の平大納言時忠卿の北方、帥の内侍と申ぞ被参ける、先例なき事也と人欺き申けり、
◯按ずるに、此等の文に拠れば、天皇御幼冲なれば、必ず母后御同輿ある例なりしこと知られたり、