[p.0725]
御幸、みゆきと訓む、行幸御幸、もとは差別無かりしが、中古以来主上に行幸と曰ひ、上皇法皇女院に御幸と曰ふ、〈猶希れには、行幸と記しヽ書もあり、〉さて上皇の御幸には、御直衣にて、金飾檳榔毛車に乗御あり、院司官人供奉し、近習殿上人御剣役お勤め、京外には衛府官人、路次お警護する例なれど、弘仁十四年、嵯峨上皇、御輿及び仗衛お固辞し、騎馬にて山荘に御幸あり、大治元年、鳥羽上皇、騎馬にて御父白河法皇の御車に先立ち、雪見の御幸あり、且つ白河法皇以後は、天下の政務院中に帰し、執政大臣も御幸に供奉する類、異例の事多かりき、御譲位の後、始めて他所に臨御し、又歳首に法皇、若くは皇太后の宮に拝覲したまふお、御幸始と称す、其他游覧御幸、游猟御幸、方違御幸等、種々の名目あり、大略行幸に同じ、神仏御幸は、神祇部釈教部に就て見る可し、