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栄花物語
三十八松の下枝
二月廿日〈◯延久五年〉天王寺に詣させ給ふ、此院おば、一院とぞ人々申ける、後三条院とも申めり、〈◯中略〉廿二日、ひうちくだりて、かすみたなびきわたりたるほどに、御くるまどもかた〴〵の御ふねによせて、いろ〳〵さま〴〵にさうぞきたるものどもたちやすらふ、まづすみよしにまいらせ給、〈◯中略〉廿四日は、御だう(○○○)のことよく御らんじ、かめ井など御らんず、廿五日のたつのときばかりにぞ、御ふねいだす、むまのときに、左衛門権佐まさふさまいれり、いろ〳〵さま〴〵にさうぞきたる中に、あかきうへのきぬにこと〴〵しくまいりたる、いとめづらしくみゆ、左中弁さねまさだいたてまつる、みてぐらじまといふ所御らんず、さねまさお御船にめしあげて、歌共講ぜさせ給、〈◯中略〉廿六日、あめいたくふれど、さてのみやとて御ふねいでぬ、かんたちめのふねに、てんじやう人のりまじりて、ひねもすにあそびつヽのぼる、あまのがはといふところにおはしましつきぬ、廿七日、けふ京へのぼらせ給とて、人々おもひ〳〵にしやうぞくかへたり、やはたのほどにおはしましつきぬ、まつのみどりもつねよりもことにみえ、かすみのまよりこぼれたるはなのにほひも、はるごまのさはにあさるも、おかしくみゆるほどに、淀におはしましつきぬ、このほどに左のおとヾ、〈◯藤原師実〉御むかへにまいり給へり、いとおも〳〵しく、きよげにめでたき御ありさまなり、人のまねぶおかきつヾれる、ひがことそらごとならんかし、