[p.0744][p.0745]
増鏡
十老の浪
やよひのすえつかた、〈◯弘安二年〉持明院殿の花ざかりに、新院〈◯亀山〉わたり給ふ、鞠のかヽり御らんぜんとなりければ、御まへの花は、木ずえも庭もさかりなるに、よそのさくらおさへめして、ちらしそへられたり、いとふかうつもりたる花のしら雪、あとつけがたうみゆ、上達部殿上人いとおほくまいりあつまり、御随身北面の下臈など、いみじうきらめきてさふらひあへり、わざとならぬ袖ぐちどもおしいだされて、心ことに引つくろはる、寝殿の母屋に、御まし対座にまうけられたるお、新院いらせ給ひて、故院〈◯後嵯峨〉の御時さだめおかれしうへは、いまさらにやはとて、長押の下へひきさげさせ給ふほどに、本院〈◯後深草〉いで給て、朱雀院の行幸には、あるじの座おこそなほされ侍りけるに、けふの御幸には、御座おおろさるヽ、いとことやうに侍りなど聞え給ほどいと面白し、むべ〳〵しき御物語はすこしにて、花の興にうつりぬ、御かはらけなどよきほどののち、春宮〈ふし見殿〉おはしまして、かヽりの下にみなたちいで給、両院春宮たヽせ給ふ、中半すぐる程に、まらうどの院のぼり給て、御したうづなどなほさるヽほどに、女房別当君、又上らうだつ久我の大おとヾ〈◯源通光〉のむまごとかや、かばざくらの七くれないのうちぎぬ、山吹のうはぎ、あか色のから衣、すヾしのはかまにて、しろがねの御つき、柳筥にすえて、おなじひさげにて、柿びたしまいらすれば、はかなき御たはぶれなどの給ふ、くれかヽるほど風すこしうち吹て、花もみだりがはしくちりまがふに、御鞠数おほくあがる、人々の心ちいとえむ也、ゆえある木陰に、たちやすらひ給へる院の御かたち、いときよらにめでたし、春宮もいとわかううつくしげにて、こきむらさきのうきおり物の御指貫、なよびかにけしきばかりひきあげたまへれば、花のいとしろくちりかヽりて、もんのやうに見えたるもおかし、御らんじあげて、一枝おしおり給へるほど、絵にかヽまほしき夕ばえどもなり、そのヽち御みきなどらうがはしきまできこしめし、さうどきつヽ夜ふけて帰らせ給、